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八重山民謡

2020年8月27日 (木)

八重山の親廻り

王府時代の親廻りとは

 八重山民謡に「親廻節」がある。琉球王府時代の親廻りがどのようなものであったのか。
 喜舎場永珣著『八重山民謡誌』から紹介しておきたい。
<親とは、在番、頭をはじめ、惣横目、与人などの高官に対する尊敬語である。親廻は、その高官のほかに目差一人、蔵筆者一人、若文子、仮若文子などの諸役人の一行が毎年春秋の2回、出張巡視すること。
 今年の春、石垣島の各村を巡視したら、秋には離島の島々を巡視し、来年はその反対であった。その目的は各村ならびに島々の政治行政、納税や御用布の状態、農事の興廃と風俗の改善、人口の繁栄策などをいちいち監督指導し、また調査研究された。在番や頭職などは各々駕籠に乗って、その他は馬で巡視した。
 駕籠舁(カ)きは、その村の屈強の若者を選出したが、それに選ばれた者は、村の青年の羨望の的であり、名誉であった。この「カゴカキ」には、俗に「四人控え」と称して、4人の人夫を附与される特権があり、4人の人夫は自分の田畑で使用していた。
 駕籠の重さは、180斤から、200斤もあったと伝えられる。 親廻の一行に対する歓迎は、その村の村役人をはじめ、村中の者たち総動員となり、料理係、材料収集係、余興係、炊事係、給仕係、お伽係に、全生命を堵して他村他島に負けないように村を挙げて歓待した。
 たとえば、黒島の「マツコン」の吸い物、西表の猪の石焼料理、野底村のガサメ肉のカマボコなどが珍味されたと、頭職や与人の古老が実話を話しておられた。中でも在番や頭職などのお伽に選ばれた女性は名誉で村の婦人女子の羨望の的であった。
 注・「マツコンの吸い物」とは何か。黒島出身のサークル仲間に尋ねたところ、「まっこん」とはヤシガニのことだという。
 親廻一行が村に差しかかる時、村中の男は村の入口に「袖結(スディユイ)」と称して、両袖から手拭いを通して後首のところに結んで土下座、婦女子は同じく土下座して両手を合唱して、頭を垂れて迎えたものである。
 親廻は、現今の沖縄における「政府役人の大名行列」のような趣旨であるが、親廻は封建時代における村を挙げての大騒動の歓迎と監督指導を行う点が異なっている。
 この歌は、名蔵村を皮切りに崎枝村、川平、桴海、野底、伊原間、平久保、安良、伊原間、桃里、白保、宮良、大浜、平得という順序で親廻を実施したという歌である。「駕籠かき」の「ヒョーホー」の掛声は、遠方から聞こえ、村民は道路に集まって歓迎したのである。>
 ここで喜舎場氏は、在番や頭職などのお伽に選ばれた女性は「名誉」で村の女性の「羨望の的であった」と記している。この喜舎場氏の見解は、一面的であると思う。喜舎場氏は、役人が単身赴任して来る時、村の美女を賄女(現地妻)にすることについても、同様に「羨望の的」と解説していることに強い批判が出されている。それは、役人が目を付けた美女を、権力を利用して半ば強制的に現地妻とする。その上、任期を終えて帰る時は、家族として過ごした妻や子どもを一方的に捨てて帰っていく。女性を犠牲にする理不尽な習慣だったからである。
 詳しくは、わがブログで「愛と哀しみの島唄」などで書いたことがある。関心があればそちらを読んでほしい。
  親廻りは、あまりに過度な出迎えやご馳走をすることは不要だと王府からも注意が出されていたことをすでに書いた(『与世山親方八重山島規模帳』)。
 それでも、他村他島に負けないようにと「歓待した」のが実際だろう。同時にそれは、村の人々にとって、大きな負担になったことがうかがえる。

 

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